色んなことを雑に書くブログ

大学3年生女子が色んなことについて雑に書きます

私は「体育嫌い」の「スポーツ好き」

スポーツ庁の「スポーツ嫌いな中学生をいまの16パーセントから半分にする」計画が今ちょっと話題。

体育の授業もスポーツ嫌いの一因になっているだろうという所から、

かつて「体育嫌い」の少年·少女であった大人世代からも色々と意見が出ている。

 

かの私も中学生の時は「体育嫌い」だった。

今も一応大学生で、それは続いている。

でも同時に私は「スポーツ好き」である。

友達と市民体育館で5時間ぶっつづけのバドミントンをしたこともあるし、

バッティングセンターでは120キロ球のホームランを目標としているし、

体を動かすというくくりで言えばダンスをするのも好きだ。

おかげさまで健康的に過ごせていると思う。

 

じゃぁなぜ「スポーツ」は良くて「体育」はダメなのか。

それは私の受けた「体育」が機械的×雑という最悪の掛け合わせだったからである。

 

授業である以上、成績をつけなくてはならないので最終的な達成目標が設定されるのはしかたがない。

でもそこまでの技能習得の過程における、何週目にはこれをして何週目にはこれで、という機械的な進行は運動が苦手だった私には苦痛だった。

ドッジボールの球をどうやって受け止めればよいかが分からなかったし、

バスケットボールではコート内をどう動いてよいやらという感じだった。

でもみんなはすでに難なくこなしていて焦る。

そんな風にエキサイティングする仲間の間であわあわしていると、

誰かが「先生!試合やりたい!」などと言い出す。

子供たちのキラキラした目で汗をかきかきお願いされると折れたくなるのだろう。

思いがけないタイミングで、先生はかなり早めに私たちを「試合」の段階に突入させるのだった。

試合の中で私をはじめとする「運動苦手民」は邪魔者扱いをうける。

疎ましく思われているのが分かるからできる風に見せようとするも、そうした動きがさらに「運動できる民」の足手まといになる。

まぁ確かに、ゴールするわけでもなく、それどころかコートで挙動不審にちょこまか動くのだから邪魔だと思われるのも分かる。

ただ、私は好きで妙な行動をしていたわけではないのだ。

どうしてよいのか本当に分からなかったのだ。

 

こうした苦しみをよそに、

運動苦手民ってとにかく邪魔、ダサい、ダメ みたいな図式はできあがっていく。

いたたまれない気分だ。

自分が恥ずかしい。

そんな中で追い打ちをかけるように先生は悪魔の一言を発するのだ。

「できる人ができない人に教えてあげよう。」

いやいやいやいやいやいや

そこまで求めちゃダメでしょう!

「サッカー楽しーーー!!!!!」

「活躍したるわーーーーー!!!!!」

「けど運動できない人いてなんか邪魔ーーーー!!!!」

な状況の子ども達にそんな余裕はないはず。

さらっと「仲間と協力しよう」ぐらいのテンションで言うけれど、それ、かなーり難しいことではないだろうか。

それに運動できる民が運動苦手民を理解するのって、ただ思いやりがあればいいとかそういうのとはちょっと別次元のところにあると私は思う。

結構プロっぽい知識とかが必要なんじゃないかな。

とにかく子供同士でうまくやれ、というには無理がある。

 教える子も、教えられる子も、どっちも戸惑ってしまう。

 

というわけで、私の受けた「体育」は機械的であり雑だった。

スポーツなんて楽しくなくて、自分がみじめな思いをするだけだった。

 

こんな私が「こうだったらよかったなぁ」と個人的に思うポイントは、

·基礎練習に時間をかける

·試合に重きを置かない。

の2点である。

基礎練習をたっぷりさせてもらえれば、その時間の中でゆっくりでもコツはつかめていく。

段階を小さく刻めば先生も生徒の(技術的な)問題点を指摘しやすいのではないだろうか。

そうして自分なりの「あ、できる。」がたまっていくと何かのタイミングでそれは楽しみに変わる。

実際に私はそれを体験した。

例えば友達と遊びでするバドミントン。

ただひたすらにラリーを続けつつお喋りしているだけだったのだが、それが基礎練習的に働いてなんとなく苦手なりにコツをつかんだ。

羽は当たるし、真ん中にヒットすると気持ちがいい。

ラリーが結構続く。

私、バドミントンできるほうなのでは....と心地よい勘違いさえしてしまう。

今ではバドミントンは好きなスポーツの一つである。

私に付き合ってくれた友達に感謝。

 

なぜに体育の授業があそこまで試合を重視するのか私には正直分からない。

試合をできるようになるのが最終目標だからだろうか?

でもそれって、「そこにいるみんながスポーツに楽しみを見出す」ということより大事なのかなぁ。

私にはどうもそうは思えない。

だって体育はスポーツ教室とは違うんだもの。

 

「体育嫌い」の私だけれどスポーツは好きだし感謝している。

気分も明るくなるし、健康的なダイエットには最適だ。

それに大抵あまりお金をかけずに楽しめる。

メリットは多い。

だから「体育」が「スポーツ嫌い」を増やす一因にはなってほしくないのである。

逆に子供たちの人生にスポーツという選択肢を与える機会であってほしい。

「体育嫌い」の「スポーツ好き」はそういう風に思う。