色んなことを雑に書くブログ

大学3年生女子が色んなことについて雑に書きます

タナトフォビアで生き生きする

タナトフォビアという言葉をご存知だろうか。

これは日本語で死恐怖症を意味する。

分かりやすく説明すると死ぬの怖い病(そのまんま)。

私は2014年の春と今年の春にタナトフォビアになった。

それまでの経緯は特に面白くないので省くが、とにかくこれが大変だった。

四六時中「この世界の不思議さ」と「自分が死ぬ」ということの不条理を考えてはプルプル震えて過ごしていた。

2回ともその調子が約2か月続いた。

答えのない自問自答になるので抜け出すのが非常に難しく本当に辛かった。

考えないようにしても無理で、ご飯は味がしないし、というかもう見えている世界がなんだか嘘のようで人間らしく生活するのが困難だった。

自分で思い返しても私のあの時の様子は異常だった。

 

ただ、2度タナトフォビアになったことで私はそうなる前よりずっと生き生きと暮らしている。

生きて色々な経験ができることを心から嬉しく思うし、ささいなことにとらわれて時間を無駄にすることもなくなった。

あの時間は決して無駄ではなかったのだ。

 

当時の私は「この恐怖を忘れて早く昔の自分に戻りたい!」と思っていた。

テレビや音楽で気をまぎらわしたり無理やり賑やかな場所に出かけたりしてみた。

しかしそれを過ぎれば恐怖はひょっこりと戻ってきてほとんど意味を成さなかった。

それどころか賑やかな場所にいるとさらに悲しみを感じた。

そんな時、私は一冊の本と出会った。

森田療法」という神経症の治療法に関する本だったのだが、この治療法を編み出した森田正馬氏自身が子供時代から死への恐怖を抱いていたとの記述があったので、

何かためになることが書いてあるかもと思って読んでみた。

私は病院へ行ったりして正式に森田療法を受けたわけではないので

森田療法でタナトフォビアを克服した」ということにはならないのだが、

この治療法におけるコンセプトと森田正馬氏の死というものに対する最終的な見解がとても役立った。

まずそのコンセプトというのがおおまかに言うと「恐怖に立ち向かうこと」と「恐怖はとりあえずそのままにしておいて生活する」というもの。

それから私は恐怖にどっぷりと浸かった。

一日中、本当に一日中「死」について考えた。

もちろん精神的にへこんだが逃げたままでいるよりかはスッキリした気がした。

そして恐怖を抑え込むことなく生活するスタイルに切り替えてみると、案外そこに慣れてゆくのだった。

加えて森田正馬氏の「死はやっぱり人間にとって怖いものだ」という見解は私をいくぶん開き直させてくれた。

そういう風にして過ごしているとだんだん恐怖することに疲れはじめ、日常の人間活動における忙しさが勝ってくる。

その結果、いつの間にやら私はタナトフォビアでなくなっていた。

そして死の恐怖に必要以上にとらわれなくなった私は逆に「生」を考えるようになった。

 

「怖がりぬく」ということが私には足りなかったのかもしれない。

1度目のタナトフォビアが終わったのは私が思うにただ受験勉強が忙しくてなんとなく忘れていたためであった。

しかし2度目の凄まじさが示しているとおり、私の1度目のタナトフォビアに対する向き合い方は不完全だったのだ。

2度目で「怖がりぬいた」おかげで「死」に対して莫大なエネルギーを使うことの途方もなさに気付き、「生」を思うという新たな境地に達することができた。

タナトフォビアなしではおそらくそんな風になれなかったと思う。

タナト様様である。

 

こんな経験を経て、今私は生き生きしている。

 

(補足)

森田療法の本」のくだりだが、興味を持った人のために書いておくと私が読んだのは

講談社現代新書出版·北西 憲二著の「はじめての森田療法」である。

さらに誤解や混乱を招かないように言っておくと、本記事はタナトフォビアの治療法を紹介する記事ではない。私の森田療法の解釈には誤りがあるかもしれないし、私が克服したプロセスが万人に通用する治療法であるとは言えないということを心に留めておいてほしい。

森田療法については自分で調べてみてください。