色んなことを雑に書くブログ

大学3年生女子が色んなことについて雑に書きます

「おかま」は死語になりつつある

今日、こんなニュースをみた。

 

www3.nhk.or.jp

 

LGBTに当てはまる子供がいるのにも関わらず「おかま」という言葉を使ったことが問題らしい。

それより私は「おかま」という言葉のチョイスそのものがもうおかしいと思う。

 

「おかま」って言葉、日本では馴染みのある響きである。

日常会話でもテレビでもよく聞こえていた。

ただ最近ではこの言葉が差別用語ではないかとの議論も盛んで、多くの人々、もちろん当のLGBTに該当する人も声をあげている。

確かに「おかま」っていう言葉が使われる時って、

男性の動きや声が女性っぽいのをバカにしたり笑ったりする時がほとんどで、

この言葉が対象を「ネタ」としてはたらかせているのは明らかである。

こういうことでは差別用語だとみなされても仕方ない。

傷つく人がいるのも分かる。

ということで最近ではテレビ等メディアで「おかま」が聞こえることは少なくなってきている。と思う

 

LGBTの存在が世に広まる前まで、彼らはそうでない人々にとって「なんだかわけのわからん変なやつ」だったのだろう。

しかし近年彼らとそうでない人々の関わりがより自由に、双方向になったことでその認識は変わりつつある。

彼らが同じように息をし、食べている実感は、この10何年くらいの間にじわじわと高まっていると思う。

「おかま」が笑いをとれる時代、そういうくくりだった人々が笑われる時代の終わりは近づいているのだ。

彼らは実は稀有な存在ではないし、アバンギャルドに見せようとしているわけではないという事実が分かったからである。

 

だからやっぱり「おかま」なんて言葉をまだ使い続けようってのは時代錯誤である。

そこに悪意があるかどうかはあまり関係ない。

そういう言葉の存在自体に議論が巻き起こる時代なのである。

それに不快に思う人がいるんだからやめておくべきなのだ。

LGBTの人々の気持ちになってみろ、とかそういうことは言いたくない。

だって、100パーセント理解してるかと聞かれたら私も自信がないから。

それにそういった人々を敬えとか、えらいんだぞとか、そういうことも思っていない。

だけれど同じように生きる誰かを、言葉一つ存在させることで辛い思いにさせるということ、これはとにかく良いことじゃない。

こういう理由で、私は「おかま」という言葉に抵抗を感じるのである。

 

そう遠くない将来、今小学生くらいの子供たちが大人になって社会に入っていく時、

世界でのLGBTに関する議論は今の流れのまま引き続き白熱していることだろう。

自動的にそこに身を投じていく彼らなわけだから、言葉の扱いへの敏感さは持たせておかねばならないはずだ。

にも関わらず、手本となる大人が考えなしに「おかま」発言するのはどうなんだろう。

 

 変わっていく世界の空気の中で、古い価値観が子供たちを置いてぼりにさせてしまうことはあってはならないと私は思う。